理事長 細川 一彦

はじめに

 2019年12月、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が中国で初めて検出され、瞬く間に全世界へ広がりを見せました。その脅威はとどまることなく、今もなお猛威を奮っており、我々が住み暮らす長岡も対岸の火事ではありません。
長岡はこれまでも多くの戦災・天災を乗り越え、そしてその都度大きな発展をしてきました。戊辰戦争や長岡空襲、そして地震や水害。どんなに困難があろうとも長岡人は決して屈することなく立ち向かいます。なぜなら長岡には度重なる困難を乗り越えてきた歴史があり、その不撓不屈の精神性が一人ひとりに脈々と受け継がれているからです。今我々が直面している最も大きな壁、新型コロナウイルスを克服していくのは簡単なことではないかもしれません。しかし、何も行動しなくても時計の針は進んでいきます。止まない雨はありません。今、前を向いて新たな挑戦をしていくことは非常に難しい時代ですが、困難を乗り越えた向こう側には必ず明るい光が待っています。その光へと向かって我々は歩みを止めることなく、一歩ずつ進んでいきます。

組織としての最適解

 長岡青年会議所は設立から67年続いてきた歴史ある組織です。何故今日まで続けてこられたのか。それは先達が築き上げてきた組織としての土台があり、理事会や委員会等の機能が優れていたからに他なりません。特に委員長の想い、事業チーフの想いが詰まった議案書は時代背景に合わせて洗練された内容となっています。しかし、組織と個人は似て非なるものだと私は思います。青年会議所の事業は個人の理想や信念だけで実現できるわけではありません。そこには常に組織としての合意形成が必要となってきます。理事会や総会の意義を改めて認識し、ただ漠然と運営するのではなく、その都度目的意識をもって有意義に運営していくことが必要です。そのためにはこれまで培ってきた組織としての活動方法、またICTやSDGsといった今の時代やこれからの時代に沿った組織としての活動方法を考え、我々メンバーにとって、そして長岡青年会議所にとって何が最適解なのかを常に求めていきます。それにより我々メンバーが最大限の力を発揮できる、時代に沿った組織を確立していきます。

人の成長

 人は志次第でどこまでも成長することができます。故に志がなく、ただ毎日を過ごすだけでは成長は止まってしまいます。青年会議所という最高の学び舎に所属している我々は常に志を高く持って行動しなければなりません。志を高く持つためには「仲間を作る」ことが重要だと私は思います。青年会議所には多種多様な職種、年齢も入会時期も違う多くのメンバーが所属しており、活動を通じて仲間を作ることにより普段の生活では感じることのできない様々な刺激を得ることができます。仲間を作ることで「あいつのためにやってやろう」、「あいつが頑張っているから俺も負けてられない」といった感情が芽生え、メンバー同士の絆が深まり、モチベーションは上がり、組織の活性化につながっていきます。そして活動の中で、真面目に議論するときは議論する、楽しむときは徹底して楽しむ、限りある時間を有効に使います。
 我々メンバーは誰もが、まちづくりや仲間作り、自己成長等のために長岡青年会議所に入会し、日々活動を続けています。しかし、入会したばかりの頃は青年会議所活動について右も左もわからないことが多々あると思います。そんな時にはベテランメンバーがしっかりと青年会議所が目指すべき方向へと導いていかなければなりません。その結果、青年会議所の存在意義、立ち振る舞い、時間の使い方など、メンバー一人ひとりがより一層当事者意識を持って行動できるようになります。そしてポジティブに活動することが互いの成長機会となり、長岡青年会議所の発展に繋がります。

祭りを楽しむ

日本人は何故こんなにも祭りが好きなのでしょうか。弾ける神輿の掛け声、屋台での美味しいグルメ、幼少時代に「祭り」という言葉を聞くと心躍ったことを今でも覚えています。それだけ祭りには底知れぬ魅力があり、祭りに参加するすべての人々を団結させ、勇気と元気を与えるパワーを持ち合わせています。
日本全国には数多くの祭りが存在し、長岡市においても各地域様々な祭りがあり、その中でも長岡まつりは長岡の象徴とも言うべき一大イベントとなっています。長岡まつりは慰霊・復興・平和がテーマの祭りであり、長岡まつり大花火大会はその想いが込められているからこそ、全国的にも感動を呼ぶ花火として有名です。新型コロナウイルスの影響で直近2年は従来通りの長岡まつりではなく、長岡青年会議所をはじめ各団体で趣向を凝らした内容で参画してきました。まずは長岡まつりの起源を改めて確認、伝播し、さらに祭りというものの楽しさを伝える機会の創出に努め、そして長岡全体に活力を与えるべく長岡まつりに今年も参画していきます。コロナ禍前の長岡まつりを取り戻すのではなく、直近2年の創意工夫を活かした令和4年の新たな長岡まつりを創り上げます。一つの神輿をあげることは、団結して物事に取り組むことに通じます。我々は団結し、何よりも我々メンバーが先頭に立って祭りを楽しみ、祭りの素晴らしさを市民に魅せることで、長岡全体を活気で溢れるまちにします。

想いの継承

 1945年8月1日22時30分、B29爆撃機による焼夷弾爆撃が始まり、長岡の街は瞬く間に炎に包まれ、今現在わかっているだけでも1488人の尊い生命が失われました。
 2004年10月23日17時56分、新潟県中越地方を震源としたM6.8の直下型地震が発生し、長岡市内でも建物の倒壊、鉄道や道路の分断など多くの被害が出ました。
 戦後75年以上が経過し、長岡空襲を体験された方は少数です。また、長岡の学生ほとんどが中越地震を経験していません。時間の経過は時に史実を風化させます。当たり前に平和がある毎日では、人は痛ましい過去を振り返ろうとはしません。しかし長岡は大きな戦災・天災がある度に、その時を生きる人々の想いと共に復興、発展をしてきました。その先人たちの想いや行動を未来へと継承していかなければなりません。我々は史実と先人たちの想いを学び、次代を生きる若い世代へと想いを共有していきます。
 柿川灯籠流しは長岡青年会議所が第1回から毎年これまでに38回執り行い、以来、長岡市民に広く認知される事業となり、長岡まつりにおいても必要不可欠なものとなりました。発信し続ける、認知される、ということはとても重要なことであり、史実の風化を防ぐ最大の方法です。我々は今年も8月1日、そして10月23日の在り方を改めて考え、そして長岡への愛郷心と誇りを継承することができる人財になります。

夢を持つこと

 子供たちの目はどうしてあれほどまでにキラキラと輝いているのでしょうか。目標とする大会で優勝するために頑張る、行きたい学校へ合格するために頑張る、将来なりたい職業に向けて頑張る、目的はそれぞれだと思いますが、夢に向かって挑戦することは素晴らしいことです。失敗することを恐れず、目的へ向かって突き進む姿は青年会議所活動にも通ずるものがあります。私たちもかつては夢見る子供であり、その描いた夢には大人から多くのサポートがありました。そして大人になった今、今度は私たちがここまで歩んできた経験を活かして、今を生きる子供たちの夢を応援していかなければなりません。「夢なき者は理想なし。理想なき者は信念なし。」と渋沢栄一氏が言ったように、未来の長岡を創造していく子供たちには夢を持つことで、常に前へ前へと進んでほしいと願っています。新型コロナウイルスの影響で子供たちの挑戦できる場が奪われつつあるこの時代だからこそ、その活躍の機会を我々が創り上げ、夢ある子供たちが自身の未来を希望あるものへと描ける一助となります。

自信の持てるまちへ

 長岡市民は郷土自慢をするのが苦手だとよく耳にします。土地柄や性格もあるのかもしれませんが、非常にもったいないことだと以前から感じていました。面白いことに長岡生まれの人より、長岡に移住してきた人のほうが長岡の魅力を多く語ることができるとも言われます。花火のイメージが大きすぎて他には何もないと思う長岡市民も少なくないですが、長岡には全国に誇ることのできる自然、施設、食べ物、催しなどが数多く存在します。そんな恵まれた環境下で生活できることに感謝し、長岡市民が県外や市外の人々に対して「長岡自慢」ができるよう魅力の顕在化をしていきます。近年では道の駅ながおか花火館や摂田屋6番街発酵ミュージアムなどの整備も進み、長岡の新たな魅力の一つとなっています。今までもあった長岡の魅力と近年新たに加わった長岡の魅力をうまく融合することで、新しい発見ができるのではないでしょうか。
 下を向いて歩いていても楽しくない。長岡のまちに誇りと自信をもって歩いていける。そんなまちづくりを我々は目指していきます。

メンバーへ

 JCに対する考え方、参加する動機は人それぞれ違うと思います。付き合いで入会した方、縁故関係で入会した方、商売のために入会した方、本気で長岡を変えようと入会した方。きっかけは何だっていいです。ただ一つ言えるのはメンバー全員同じ年会費を払い、それぞれの看板を背負って活動しているということです。100人以上の仲間と一緒に活動することは大人になった今、貴重な機会だと思います。やるからには本気でやってみませんか。やるからには完全燃焼して気持ちよい疲れと最高の達成感を味わいませんか。今は新型コロナウイルスの影響で活動がしにくい状況かもしれません。もしかしたら動かないことのほうが正義なのかもしれません。しかし動かなければ何も始まりません。マイナスはないかもしれませんが、プラスもありません。何のために青年会議所に入会したのか、もう一度振り返ってみてください。こんな時だからこそフレキシブルに動いていきましょう。行動した先に答えがきっと見つかるはずです。修練・奉仕・友情のJC三信条を胸に刻み、一年間本気でやり通した時、その曇った空の先からは美しい透き通った蒼空が晴れ渡ることでしょう。

最後に

「JCにできることはそんなにない」、「時間を持て余した2代目、3代目の集まりだ」。世間一般がよく想像するイメージかもしれません。より良い社会や地域を創造する、と言葉で言うのは簡単ですが実現するのは非常に難しいことです。本気でJC活動をすればするほど、このように思われるのは悔しく、歯がゆいです。しかし今我々が当たり前に暮らしている長岡にはJCが関与しているものがたくさん存在しているのもまた事実です。もしJCが長岡のまちに存在しなかったら。当たり前が当たり前ではなくなるかもしれません。長岡人として、組織人として、我々メンバーは常に高い志と信念を持ってこれからも歩み続け、光ある未来へ突き進んでいきます。
そこに我々が住み暮らす大好きな長岡のまちがあるかぎり。

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